捕らわれた宇宙人ではありません。 大きな男性に両方から引っ張られているのは室谷です。 雪国に住んで27年。 スキーやスノーボードの経験はあっても スケートに挑戦したことはこれまで一度もなく、 この度仕事で初めてスケート靴をはきました。 なんて難しい。 大人になってから挑むというのは尚更ハードルが高く、 全くダメなまま取材を終えました。 氷上で俳句はしっかりと詠んだのですが。
原作は、「舟を編む」で本屋大賞を獲得した『三浦しをん』さんの作品「神去なあなあ日常」です。 林業をテーマにした青春林業エンタティンメント! もちろん、石崎も原作を読みましたがストーリーも世界観も凄く引き込まれる傑作です。 この作品が、どのように映像化されるのか楽しみですし、その一部に参加させてもらえた事が凄く光栄、幸せ、楽しみです!!
先日、京都と伊勢周辺のパワースポット巡りをしてきました。 式年遷宮で注目されている、伊勢神宮。 母と行きたいとずっと話していたのですが、なかなか予定が合わず、11月に・・・。 となると、京都の紅葉も見られるかも?と思い、関空に飛んで1日目は京都観光をし、2日目から伊勢周辺に移動するよくばりプランを考えました。
こちらは、神馬! 偶然にも出会うことができました。 嬉しかったなぁ〜。 なぜだか私とずっと目が合っていた、空勇号。 パワーをくれたのかなぁ? それにしても・・・ 書きたいことがたくさんあって書ききれなかったので、詳しい旅の話は私のブログ「あやぴん日記」に書きますね。 お付き合いありがとうございました。
函館湾を見下ろす八幡坂。 かつて食器用洗剤のコマーシャルで夫婦がステップを踏みながら踊っていたロケ地です。
大森浜の石川啄木像。 立待岬、函館山、そして海を背に、何を思うのでしょうか? 「潮かをる 北の浜辺の 砂山の かの浜薔薇(ハマナス)よ 今年も咲けるや」 台座には歌が刻まれています。
1泊2日にしては、大満足の旅でした。 一つ心残りなのは、虫歯を抜いて2日目で、歯茎が疼いて食べ物が美味しく感じられませんでした。 次回はグルメを求めて再び訪れたいと思います。
すみません。先日、あった酒の席で、嬉しさのあまり、一緒の写真を撮り忘れてしまい、文章だけが長くなり申し訳ありませんが、どうしても記しておきたい出来事がありました。 この画像の方は相原雅也(あいはら まさや)さん【本人に掲載の了承を得ています】。元プロ野球選手です。セ・パ12球団で運営されるNPBでのプレーを目指す独立リーグの一期生として、2005年から2シーズン、高知ファイティングドッグスでエースとして活躍しました。 2年間で28勝、当時チーム最年長で、精神的な柱にも。私が前に勤めていた放送局で入団当時から取材していて、「相さん」と呼ばせてもらっていました。写真からにじみ出ているように、とにかく絵に描いたような実直な方で、私より2歳年上ですが、常に敬語で接してくれるような方です。 ストレートは140キロを超え、ドラフト指名の声もあがっていましたが、結局、夢を果たすことはできず・・・社会人野球を経て、現在はNPB選手を輩出しようと、東京の健康器具会社「ホグレル」の営業マンとして全国を飛び回っています。 互いに高知を去ってからも、年賀状のやりとりはしていたものの、一度も一緒に食事をする機会がなく、「いつか飲みたいですね」とずっと言い続けてきました。 そして、今月。相さんが、出張で札幌に来ることになり、ようやく8年越しの夢が叶い、男二人、酒を酌み交わすことができました。 高知時代の思い出話、当時聞けなかった裏話。高知球団から千葉ロッテに入団し、NPBで首位打者にも輝いた角中勝也選手の話などなど、「もっと早く飲みたかった!」と思うほど、会話が弾み、あっという間に時間が過ぎていきました。 そして、本当に感激したことが。 相さんが高知を去る際、私はニュースで5分間ほどの特集企画をしました。相さんはその時の放送を、ずっと大切にしてくださっていて、「たびたび見返して活力にしているんですよ」と言ってもらいました。 普段、視聴者・リスナー・取材対象者の方とは一方通行になることが多いのですが、自分が作ったものでも直接、そう言ってもらえると、「ああ、この仕事やっててよかった」と心から思いました。 相さんが、「なぜ、独立リーグでプレーしようと思ったのか」、「やってみてどうだったのか」、「これで終わりなのか」、「アイランドリーグの存在意義とは・・・」。一旦、夢破れたチームの柱の思いを視聴者に伝えたかったのはもちろんですが、当時、入社2年目だった私は、仕事の面でいろいろと壁にぶつかっていた時期。その思いを相さんにぶつけながら、「何か自分に得られるものはないか」という思いを抱きながら取材を進め、インタビューをしていきました。 そこで、高知での現役生活が終わった時のインタビューで、今でも忘れられない相さんの言葉が。「自分の夢のためと思ってやってきたことが、いつしかみんなの夢になっていたことがわかりました・・・」。そのメッセージは「放送用」ではなく、うっすら涙をにじませながら心から語られていて、マイクを通してその思いが伝わってきました。 決して自分は一人ではない。多くの人に支えられ、期待を抱いてもらって仕事をしているんだ。 相さんの言葉に目が覚めた自分がいました。 「あの時、水野さんが心を開いてくれたので、自分も心が開けたんですよ」。芋の水割りを飲みながら、当時の心境を打ち明けてくれた相さん。改めて、「取材される側の声にしっかりと耳を傾け、適度な距離を保ちながら寄り添い、伝えていくこと」の大切さが身に染みました。 自分は幸せな職業に就いているのかもしれない。すすきののネオンがいつも以上に輝いて見え、ものすごく胸が熱くなった11月の夜でした。
客席もないのどかな球場まで施設はさまざま。
ここでも若手から中堅がメンバーの中心でしたが、今季の悔しさを胸に追い込んだ練習をしていました。 ちなみに出張期間はどちらも9泊10日。 去年まではCSや日本シリーズを中継していた時期ですが、また別の意味で充実した取材でした。