幻想的な「冬まつり」に行ってきました! 北海道の冬は寒いです!本当に寒いです! でも、これを楽しまなければ…もったいない! そんな思から、2月の北海道は、 各地で「冬まつり」が開催されます。
私が訪れたのは、 支笏湖で開催されていた「氷濤まつり」です。 宮地アナウンサーとかぶってしまいましたけど、 お付き合いください…ネ。 ご存知の方も多いでしょう! (だって、既に紹介済みですから…でも、改めて…) 支笏湖の湖水をスプリンクラーで吹き付け凍らせることで、 大小様々なオブジェを作り出し、 支笏湖ブルーに輝く幻想的な氷の世界を 楽しめるお祭りです。 よく作ったものだな〜と、 感心しきりだったのですが、 夜がまた良いんですって!(地元の人談) 漆黒の中に浮かび上がる氷の像が…
今回は、残念ながら見ることが出来ませんでした。 でも、苔の洞門(作品名)で、美しさの一端を 垣間見ることが出来ました! 来年は夜の氷涛まつりに お邪魔します!
スノーホッケーや (札苗緑小学校の校庭にて)
先週末で、氷濤まつりは滞りなく終了したということ。 お疲れ様でした。
そしてまだ続いているおまつりやこれからのイベントの実行委員会の皆さま、 北海道の自然の中での運営、すごく大変だと思います。 雪や氷や寒さの美しさを私たちに見せて下さって、本当に有難うございます。 今週も雪模様の荒れたお天気になりそうですが、 どうぞお体にお気をつけて、素晴らしいイベントになさって下さい。
北堂は肴がいい。さばの飯寿司なんて 初めて食べた。
〆にはやっぱり蕎麦だ。北堂は蝦夷前を 標榜するだけあって道産の食材にこだわり を持つ。蕎麦粉しかり、出汁しかり。 きつねの揚げは器の大きさに合わせて特注 した弟子屈町松田豆腐店の逸品だ。 ふっくらした揚げが見た目に可愛い。わた しはその可愛い揚げに、たっぷりと出汁を しみこませて食べるのが好きだ。
1月25日から3週間、ファイターズのアリゾナキャンプを取材しました。 放送機材の手続きの関係で遅れ、いきなり行きで、トランジットに失敗。
癒しは世界遺産のグランドキャニオンでした。
クラブハウス外で、車のヘッドライトも使いながら、深夜0時にテレビの中継も。
ホテルでは、平日は毎日、ファイターズDEナイトの電話収録。
どれも今となっては、いい思い出です。 今回、本当にいい経験をさせていただきました。 英語力はもちろん、「取材の目」をもっと養わないといけないと・・・ メジャー担当記者の方と出会ったのですが、大谷投手の投げ方を初めて生で見て 「ひじの使い方が気になる」など、“メジャー”な見方をされていました。 もっと洞察力を磨いて、今度はチャーター機で行けるようがんばります(笑)
25年前の1991年…あなたは何をしていましたか?
世界的な動きでは1月に湾岸戦争が勃発。年末にはソ連崩壊という歴史的な出来事があった一方、国内では成田エクスプレスの開業や衛星放送「WOWOW」の本放送開始など新しい時代がスタートした年でもあります。
また、音楽の世界では小田和正さんの「ラブ・ストーリーは突然に」や槙原敬之さんの「どんなときも。」などが大ヒット。スポーツ界では横綱・千代の富士が現役を引退しました。
こう書いてみると、ずいぶん昔のことのように感じてしまうのは僕だけでしょうか…?
そんな僕はその25年前、何をしていたかといいますと… 千葉県内の高校を卒業しアメリカの大学へ行く準備をしていました。自分のその後の人生に大きなプラスの影響を与えてくれた恩師や仲間と別れ、同時に新たな一生の友と出会った頃でもあります。
あれから四半世紀…。
25年の時を経て、先日、高校3年の時のクラス会が行われました。 開催日は14日。当日の天気予報は「全国的に春の嵐」。「HBCナンバーワン悪天候男」はその力をいかんなく発揮してしまったわけです。
時間ギリギリの予定を組んでしまったこともあり、「果たして間に合うのか?というか、そもそも飛んでいけるのか?」と汗る、いや、焦る僕。
新千歳空港の出発ロビーに着いた瞬間、目の前が真っ暗になりました…。出発カウンターに並ぶ人の数。保安検査場にできた長い列。いつもとは全く違った風景が広がっていたのです。
ただそれでも、僕に残された道はただ一つ。前進あるのみ。飛行機は40分ほどの遅れで離陸しました。 とりあえず、ホッ。
機内では嬉しいサプライズがありました。当日はバレンタインデーということで、客室乗務員さんからチョコレートのプレゼントが!もちろん僕だけに特別ではありませんが(そりゃそうだ…)。 これには年甲斐もなく思わず、ポッ。
そして夕刻。そんなバレンタインデーに集まった懐かしい顔、顔、顔、顔、顔、顔、顔。
今回、会えたのは上記の通り「7つの顔」。つまり、僕を含めての参加者は8人とかなりこじんまりとした会ではありましたが、それだけに逆に濃密な再会となったと言えるかもしれません。
25年経っても変わらぬ笑顔が嬉しかった! そして、変わらないといえば、やはり恩師の優しい眼差しでしょうか。当時、“第2の母”のように思っていた先生は、やはり今でも“母”でした。
みんな、楽しい時間をどうもありがとう!そして、また会おう!
ちなみに僕の母校の名は「長生(ちょうせい)高校」。
その名の如く、母よ、これからも健康で長生きして下さい!そして我が友よ、僕らもいよいよ四十代も半ば。僕らこそ健康に気を付けて長生きへの土台を作っていかなければいけないぞ〜!
なんて、体のことをつい書いてしまうところに25年の歳月を感じてしまうのは僕だけでしょうか?
ちなみに、この日は僕が札幌に住み始めてちょうど20年になる節目の日。そんな日に、昔の仲間たちと時間を共有することになったのは何か特別な意味があるのではと思えてなりません。
「あの頃のことを忘れずにガンバレ!」
天からのそんな声が聞こえたような気がします。