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2013年06月26日(水) |  メタボから世界最高峰へ
2013年06月26日21時51分01秒更新
堀 啓知(よしとも)

「何も予定はないので時間は気にしないでいいよ」と第一声。
標高8848メートル。
世界最高峰・エベレストに、世界最高齢80歳という年齢で3度目の登頂に成功した三浦雄一郎さん。
先日ニセコの温泉で休養中に、特別にインタビューの時間をいただきました。

最も印象的だった言葉は、「年寄り半日仕事」。
自分の年齢を受け入れて、過去2回成功した方法に拘りませんでした。
無理ぜず登山は半日で終えて、ゆっくりキャンプで疲労を回復する。
その結果、エベレスト登山では珍しく、チームの誰一人として高山病にかからなかったそうです。

また、こちらも世界初?なのか、8000mのデスゾーンの高地で2度のお茶会。
あえて茶道具を持ち込んだのは、過酷な状況でも気持ちを落ち着かせることが大事だったそうです。
半分はジョークでしたが、お茶を点て羊かんを食べたことで、精神と実際のエネルギーを蓄え、チームの連帯感が強くなったと言います。
地元のシェルパは、日本人の作法を不思議そうに見ていたそうです。

一方、登頂までの道のりとは対照的に下山は過酷を極めました。
頂上で酸素マスクを外し1時間も滞在したことで体力が低下(通常は20分程度)。
下山に本来より3倍もの時間を費やさざる負えなかったそうです。
三浦さん曰く「生きるか死ぬかの瀬戸際を見た、死ぬよりも苦しい思いをしながら・・・生きて帰るんだという執念、これが無事に帰れた理由」。
実際、下山中に他の部隊の遺体を確認したそうです。

そもそも、今回のチャレンジは、不可能と思われていました。
去年秋のヒマラヤ訓練に帯同した、札幌の国際山岳医の方はそう感じていたそうです。
訓練中に持病の不整脈を発症。
急きょ訓練を切り上げ、11月に心臓手術。
その後インフルエンザにかかり、オーバートレーニングの末、1月に4度目の心臓手術・・・。
それでも三浦さん本人は「不思議と絶対に失敗しないというか・・・登れない心配はなかった、楽天的に考えるタイプだから」とさらり。

そんな超人的な三浦さんも、60歳前後のころはメタボリック体質。
当時の医師に「三浦君、余命は5年もないぞ」と言われたほどで、標高531m、札幌の藻岩山ですら息が切れて登れなかったそうです。
藻岩山から始まり、手稲山、羊蹄山・・・徐々に標高を上げて富士山、そして世界へ。
札幌の観光地からスタートしたことが、はるか遠い存在の三浦さんを少しだけ近くに感じるエピソードでした。
ただし、「登りは、非常に計画的だったので90歳でも登れる錯覚をおこしたくらい・・・」とのこと。
やっぱり遠い遠い存在です。

それにしても、三浦さんと話していると、こちら側が錯覚をおこしてしまいます。
「自分でも何か大きなことを達成できるのでは・・・」と。
まずは、目標を立てるところからスタートです。

 





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