宮城県亘理町のイチゴ生産者が
伊達市に移住する決意をしたのは、
2011年3月11日
「東日本大震災」がきっかけでした。
冬場、北海道で消費されるイチゴの
およそ60%を担ってきた亘理町を
大きな津波が襲ったのです。
そしてイチゴ生産者のほとんどが
生活の糧を失いました。
そこで復興の兆しがまだ見えなかった
その年の5月。
亘理町と姉妹都市だった伊達市は
亘理町のイチゴ生産者に
伊達市への移住を提案-
将来的には「伊達市をイチゴ産地にする」
という構想を掲げ、亘理町で培った
栽培技術を普及してもらいたい…
そしてなによりイチゴ生産者としての
生活を送ってもらいたい…
ということからでした。
森崎
「実は先日、亘理町に行ってきました。
まさに津波を被った場所にもお邪魔しまして
かなり塩の被害があったという事でしたが
少しずつですが復興してきて
イチゴが育っている…
そのイチゴが北海道のスーパーにも
並びだしているという事を取材しました」
ワカナちゃん
「(海の)塩がいっぱいあって
除塩するにも時間がかかるし
大変だなって事がすごくわかった」
佐々木
「改めて現場にいくと、この先もっと
時間のかかるものなのかなって感じましたが
その中で砂地を利用したイチゴ栽培を
やっていこう!という生産者さんもいらして
勇気をもらいましたね」
森崎
「あの砂地で農産物が育っているのを
僕も農業番組5年近くやっているんですけど
初めて見て印象的でした!」
秋衛さん「勉強不足!」
森崎
「勉強不足??秋衛さん!
一言も二言も余計だよ~」
みんなでお腹を抱えて大笑い!
佐々木
「さてみなさんは新しいことを
スタートしていると聞いたのですが…」
佐藤さん
「今月いっぱいで私達はここを独立して
自分達のハウスで“すずあかね”という
夏採りのイチゴ栽培を再開します」
佐藤さんたちは伊達市に移住してから
試験栽培用のハウスで、
伊達市の気候に合う品種を見つけるための
テスト栽培を行うなど、
本格生産に向けての準備を
みんなで行っていました。
そして今年の4月からは
生産者ごとのハウスでイチゴを栽培し、
自分たちが育てたイチゴで
生計を立てていくことになるのです。
佐々木「この1年間どうでしたか?」
小野彰吾さん
「あまりにも忙しすぎて
記憶が飛んでいるんです!夏場の!」
佐々木
「そんなに忙しかったんですか?」
鈴木博之さん
「触ったことのない品種を育てて
自分の営農にむけてのシュミレーションが
しっかりできたので
ありがたい環境だと思います」
奥様の志野さん
「復興が終わったから“帰ろう”というのは
簡単だと思うんですが、
その気持ちだけだと
亘理町で『行っておいで』って
言って下さった方にも、
それから伊達市で迎え入れて下さった
皆様にも本当に申し訳ないんじゃないか
と思うんです。
頑張ってきた時間があるので
その成果を出せるように
まずはここでしっかり頑張ると考えてます」
秋衛さん
「プレッシャーなんて全然感じてないよ!
必ずいい物ができる自信があるから!」
森崎「でかいっすね!」
河野「力強い!」