河野
「“北海道とヒツジ”の関係について
武藤さんと説明していきます。
まず北海道に初めてヒツジがやって来たのは
明治7年。だいたい140年くらい前。
アメリカのサウスダウン種というヒツジが
約50頭やってきました。そしてすぐ後、
エドウィン・ダンが北海道にやってきて
札幌の西部にヒツジの牧場を作りました」
このエドウィン・ダンは
「ボーイズビーアンビシャス」で有名な
クラーク博士と一緒に札幌に来た人物で、
北海道の酪農と農業の発展に
尽力した人なんです。
河野
「この後、国でヒツジを研究して牧場で
たくさん増やしました。
そして各農家さんに
『数等ずつ飼育してください!』といって
いっぱい農家さんがヒツジを飼育しました。
そして時間が流れ…
第一次世界大戦が起こります。
戦争が起こると軍服や毛布が必要になりました」
この戦争をきっかけに羊毛を国内でまかなうため
北海道各地で羊の飼育が強化されました。
しかし第二次世界大戦後、
ヒツジを取り巻く環境がガラリと変わります。
武藤さん
「第二次世界大戦が終わると
平和になったんですけれど…
日本には物がなくなったんです。
日本は戦争に負けて物資不足になりました」
そこで衣類や毛布をまかなうため、
一般の家庭や学校など様々なところで
ヒツジを飼い始めます。
この頃から一気にポピュラーになります。
河野
「戦争時は5万頭だけだったヒツジが
27万頭にまで…」
森崎「増えた!!」
佐々木「最初は50頭でしたよね」
ところが…
武藤さん
「そこまで行ったんですけども
10年ぐらい経つと化学繊維が出てきた」
武藤さん
「わざわざ手間をかけてヒツジの羊毛から
作らなくてよくなったのと、
もう1つは日本が輸入を開始しました。
すると安い原料の羊毛が輸入されたので
日本のヒツジはお役御免になった訳なんです」
森崎「いっぱい増やしたのに…」
武藤さん
「27万頭いたのが1万頭になっちゃいました。
その時にジンギスカンにして食べよう!と」
河野
「服の目的だったのがお肉に変っていった」
武藤さん
「残念ながら北海道のヒツジは
まだ少ないままなんでうしょ。
1万頭くらいのまま」
森崎
「ジンギスカンがソウルフードだけど
ほとんど輸入の肉というのが現状なんだね。
だけどかつては羊毛として大活躍したんだ」
さて北海道とヒツジの関係を勉強した後は…
武藤さん
「せ~~のっ!ハ~~イ」
バケツを抱えたあぐりっこと武藤さんが
一気に駆け出します。
そうエサやりが始まりました。
武藤さん「メメメメメ~」
草食動物のヒツジ。今時期は乾燥した草と
大豆や小麦などの配合飼料を与えているんです。
とっても怖がりで慎重なヒツジ。
なかなか寄ってきませんが
やはり空腹には勝てません。
一頭が近づいたのをきっかけに
一斉にエサ場に走り出しました。
あぐりっこ「おいで~おいで~」
河野「ヒツジがメッチャ走ってる!」
あぐりっこ「カワイイ~♪」
気が付くとヒツジだらけでモッコモコ。
森崎「一生懸命食べてるよ」
あぐりっこ「カワイイ♪」
(この日だけで何回言ったでしょう…)
愛くるしいヒツジにすっかり癒される
あぐりっこでした。
武藤さん
「北海道の風景の中に
ヒツジがいて良かったと思えるような
存在になってくれたらいいなと思います」
河野
「ほかの場所には似合わないですよ。
北海道だからヒツジが似合う気がします」
森崎
「モコモコの温かさも北海道向きだよね」