北広島市 教育委員会
学芸員 畠 誠さん
「チャレンジすることを惜しまない人!
同じようなお米を育てたいという人に
無償でお米をと提供したり、
あるいは育て方を教えたり…
とても長い間、栽培指導を続けていたそう」
稲作には向かないと言われていた北海道、
当時は、どんな苦労があったの?
畠さん
「川の水を引いて水田に使っていたんですが
そうすると川の水が冷たくて、
うまい具合に育たないということで
暖水路(だんすいろ)ということで
迷路のようなものを作って水を這わせて
それで温めて水田に注いでいたようです。
その他にお風呂のお湯を使って温めたとか
そんなことが言われています」
三戸さんら生産者の「赤毛種保存会」が栽培する
赤毛米を北広島市や地元の商工会が中心となって
加工品を開発!
赤毛米を残そうと地域一丸となって
PRしているんだって。
ほかにも、地元の小学生による田植えや、
収穫した米を給食に活用したりと、
久蔵さんの思いが受け継がれているんだよ!
今の北海道米は、久蔵さんら先人たちによって
支えられていたんだね!
さて、あぐり一行が学んでいる赤毛。
果たして、当時の田植え作業とは…?
森
「150年前は手植え…
何年前まで手植えだったんですか?」
三戸さん
「昭和45年くらいから田植え機がそこそこ出てきて
昭和50年代になると、ほぼ全ての農家で
田植え機を導入された時代ですね」
三戸さん
「大変ですよ…
腰が痛いですから!」
リーダー
「分かるだろっ!何言ってるんだ」
当時の田植えは、もちろん手植え!
それでも工夫を凝らした、
こんな農具も使われていたんです!
森
「みたことない道具なんですけど…」
リーダー「まんま当時のものですか?」
三戸さん「そうです!」
森「何だと思う?」
レオ「転がして使う!」
リーダー「転がしてどうする?」
レオ「どうしよう…」
リーダー
「何のために転がすんだ!?」
イチカ
「線をつけて…
そこに沿って植えていく!」
三戸さん「大正解!」
リーダー「すご~い」