2018ǯ1124土
みんなが暮らしていける仕組みを作る
森「宜しくお願いします!」
館長 岡田健一さん
「遠路はるばる来て頂きまして
ありがとうございます」
リーダー
「この建物はどういった記念館ですか?」
岡田館長
「賀川豊彦記念館と申します」
訪れたのは、徳島県鳴門市にある
賀川豊彦(かがわ・とよひこ)記念館。
賀川豊彦とは、農民運動や平和運動など、
様々な活動を行った、
大正・昭和初期のキリスト教社会運動家。
彼の功績は世界的に評価され、
日本初となるノーベル文学賞や
ノーベル平和賞の候補にもあがり、
「ガンジー、シュバイツァー」と並ぶ、
世界三大偉人の1人と言われた人物なんです。
さっそく一行は、
館長に記念館を案内してもらうことに…
森
「資料がたくさん展示されていますね。
資料をみながら教えてもらいましょう」
リーダー「うわ~美少年!めっちゃ美少年」
1888年、神戸市で生まれた賀川豊彦は、
4歳の時に両親を亡くし、
父親の故郷である徳島県鳴門市へ移り住みます。
旧制徳島中学校を卒業後、
明治学院高等部神学科に入学。
そして彼は21歳の時、自らの病をきっかけに、
“助け合いの精神”の根源となる、
大きな決断をすることになります。
岡田館長
「当時は死の病“結核”に
かかったもんですから、
どうせ死ぬんだったら…ということで
スラムに行って助ける仕事を
する訳です」
1909年、かつて“死の病”と言われた
結核を患ってしまった賀川は、
貧しい人々の救済をすることで、
生きた証を立て、自らの人生を全うしようと、
当時、“西日本最大のスラム”と呼ばれた
神戸の葺合新川(ふきあいしんかわ)地区に
移住しました。
そこで、生活を共にしながら、
無料宿泊所や日曜学校の開設、
さらには歯ブラシ工場もつくるなど、
スラムでの多岐にわたる救済活動を
実践したのです。
鈴井さん
「希望もなく秩序もないような世界ですよね。
その中でみんなが暮らしていける
仕組みを整えた…」
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