十勝・士幌町で、
JAが行う農産物加工を学んでいる一行が、
続いて訪れたのは、町内のとある施設。
森
「偉人と言われている方を
よく知っている鈴木さんです」
元士幌町議会 議長 鈴木洋一さん
「よろしくお願いします」
森「この場所は?」
鈴木さん
「JA士幌町農業記念館です」
リーダー
「そういう記念館があったんですね」
さらに、その偉人の記念室があるということで、
案内していただきました。
鈴木さん
「ここが太田寛一さんの展示スペースです」
森
「この方が士幌町で加工品などを作り始めた方」
士幌町のみならず、
北海道農業の発展に尽力した人物、
太田寛一(おおたかんいち)。
記念室には、彼が行った取り組みの足跡や
功績などを伝える、
様々なものが展示されています。
さっそくジャガイモからスタートしたと言われる、
JAによる農産物加工のルーツについて
教えていただくことに…。
かつて輸送費が多くかかるような遠隔地の農家や、
貧しく力のない農家などは、
収穫した農産物の買い取りを
満足にしてもらえませんでした。
このため、農家ごとの収入格差が激しく、
貧しい農家は貧しいままでした。
鈴木さん
「今から60年前はね
そんなこと考える人誰もいなかったから
大改革ですよね」
リーダー
「すごい、その後も影響を与えてますよね」
太田寛一は、デンプン工場に次いで、
よつ葉乳業の設立にも着手。
現在、道内各地で当たり前のように行われている、
JAが各酪農家から生乳を一括して集め、
乳業メーカーへ販売するという仕組み。
これもまた、
生産者の不平等をなくすために確立させた、
太田寛一の功績だったのです。