最後の工程に入ると井田さんは
まるで泥遊びでもするかのように
味噌を丸めて大きな団子を作りました。
井田さん
「こうやって丸めてね…」
と言ったと思った瞬間、
バシッ!
丸めた味噌を樽に投げ込みました。
井田さん
「こうやってポンって樽に詰めるんです」
藤尾
「結構乱暴なんですね」
井田さん
「最後は乱暴なんです!」
あぐり一同も“味噌投げ”ならぬ
味噌の樽詰めを初体験!
部屋中にバシッバシッと
味噌を投げる音が響きます。
なんだかお行儀が良くないように見えますが
空気が入ってしまうと、
変色して品質が低下してしまうので
空気が入らないように投げつけて
樽に詰めていくんです。
森崎
「防腐剤を入れたり添加物を入れたり
してないんですね」
井田さん
「うちは一切絶対そういうことはしません」
森崎
「どうして味噌造りを始めたんですか?」
伊田さん
「昔、減反制度ができたんです。
だけど水田の仕事をやっていた人には
畑の仕事は難しいんです。
機械も揃えなきゃいけないし…」
昭和46年から全国に発せられた
「減反制度」。
井田さん達はお米が作れなくなった
土地を利用し大豆の栽培を始めます。
地元で獲れるようになった「大豆と米」。
これらを使い味噌造りを始めたのは、
「子供に安心安全な物を食べさせたい」
という母親としての想いからでした。
平成元年には本格的に製造し
販売を始めた女性部のみなさん。
今では全国から注文が入り、
地元の学校給食でも使われているんです。
井田さん
「私はね…子どもが中学校に入学したら
味噌造りの体験をさせてあげたいの。
そして3年生になって卒業するときに、
味噌を持って帰るの!それやりたいの」
森崎
「素晴らしい!素晴らしい
それ本当に良いと思う!素晴らしい」
今では各地の女性部が地域の作物で
加工品を作り販売していますが、
井田さん達はその先駆け。
こうした活動が認められ
「北海道産業貢献賞」を受賞しているんです。
また共和町の女性部には
味噌を作る食品加工グループ以外にも
面白い活動があるとか-
井田さん
「手芸・ペン習字・着付け・花きとか…」
夏場は休むことなく働く農家の方々。
一息つける冬の間は生産者同士で集まり、
様々な活動を行っています。
そこで、あぐり女子は他のグループに
お邪魔してみる事に!
あぐり男子は残って味噌の袋詰め体験です。
早速2年寝かせた味噌のフタを開けると-
森崎「うわ~すごい」
ハヤテ君
「すんごいドロドロしてる」
井田さん
「べっ甲色しているでしょ」
味噌を袋に入れて金具をとめたら完成!
やったー!