2012ǯ0310土
夢と希望が持てる支援を!
ほとんどのイチゴハウス、
そして住む家までもが、
津波で流されてしまったのです。
60ヘクタール近かったイチゴの畑は
その9割以上が津波によって塩水につかり、
栽培農家のほとんどが生活の糧を失いました。
森崎
「みんな1年前のことだよ。
忘れられないよね。
衝撃的な映像をみんなも幼いながらも
目に焼きついたんじゃないかな。
この町の人は繋がりが深い分だけ
悲しみも強かったんじゃないでしょうか」
伊達さん
「そうですね…
伊達市では震災が発生した直後に
職員を派遣して
まず町の行政のシステムを支援しました」
姉妹都市として様々な形で支援を行った伊達市。
その一つが宮城県亘理町のイチゴ生産者に、
伊達市に移り住んで、
「イチゴを栽培してもらおう」
というアイディアだったんです。
伊達市役所農務課
松井知行課長
「被災されたイチゴ生産者が
夢と希望を持って生活ができるように…。
まず最初に生産に対する夢を
持ってもらいたい…と受け入れました」
松井さん
「市としては生活支援をやってますが同時に
伊達市でイチゴ栽培の技術を
普及してもらいたい!
そしてイチゴ栽培が本格的になって
農家の皆さんが収益を上げる
農業に移っていきたいという展望を持ってます」
伊達市東関内にある20棟のビニルハウス。
ここで移住してきた生産者達が、
協働でイチゴ栽培の準備をしているという事。
一行は早速会いに行きました。
ツーンとくるような外の空気と違って
まるで小春日のようなハウスの中。
森崎
「亘理町からいらっしゃった皆さんです。
こんにちは~~!」
伊達市に移住してきたのは全部で6家族。
様々な葛藤のなか、
新たな決意を胸に海を渡って来ました。
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