森崎「宮城県にやってきました~」
あぐり一行「いえ~~い!」
森崎「ようこそ我が城へ!」
河野「違う違う違う…違いますから」
佐々木 「私達の後ろにありますのが 宮城県亘理町の駅に隣接している 悠里館(ゆうりんかん)という建物です」
森崎「そうなんだ~」
佐々木「そしてここ亘理町は…」
佐々木「この作物の産地なんです」
あぐりっこ「イチゴ!!」
佐々木「真っ赤なイチゴの一大産地」
河野「札幌のスーパーでよく見ます」
佐々木 「亘理産イチゴの多くが 北海道に出荷されていて、 冬場の北海道で消費されるイチゴの 約6割が亘理町産だったんです!」
しかし、2011年3月11日。 東日本を襲った未曾有の大震災。 亘理町のイチゴ産地も 壊滅的な被害を受けました。
多くのイチゴハウスや住む家までもが 津波の被害に-
森崎 「実はあぐり王国北海道では 1年前に亘理町から被災された方々が 北海道の伊達市に移住して そこでイチゴ農家をしている… という取材をしました」
去年の放送では慣れない土地で 試行錯誤をしながらイチゴ栽培に 挑戦している生産者の皆さんを取材。 応援の気持ちを込めて あぐりっこが考案した スイーツをみんなで食べました。
森崎 「その時に来ていたのがワカナちゃんです。 あの時どんな事が印象に残っているかな?」
ワカナ 「震災があったけど頑張って北海道でも 一生懸命イチゴを作っているところが すごい感動した!」
東北のイチゴ産地、亘理町。 産地復興に向けて頑張る生産者… そして被災地を離れ 新天地の北海道で頑張る生産者…
今回のあぐり王国北海道は イチゴを通して北海道との縁が深い 宮城県亘理町を取材。 産地復興に向けて歩み始めている 生産者と町の姿をお届けします。
希望の光は着実に大きくなっていました!
さて一緒にお勉強するあぐりっこは 伊達市に移住して来た イチゴ生産者を取材した回にも 参加してくれたワカナちゃん。 小学5年生しっかり者のタクヤくんの二人です。
まずあぐり一行が向かったのは、 JAみやぎ亘理吉田支所。
お話を伺うのは JAみやぎ亘理中部営農センター 土生(はぶ)利仁センター長です。
森崎 「震災以前からイチゴ栽培は盛んだったと お聞きしました。どのくらいの規模だった?」
土生さん 「96ヘクタールの面積のイチゴを 生産していました。 今は26ヘクタールまで やっと回復してきています!」
これは亘理町の地図。 イチゴを栽培していた地域が あちこちにありましたが、 一番盛んだったのは海沿いの この赤で囲ったエリア。
土生さん 「(このエリアは)3メートル以上の 津波が来た場所です」
森崎「3メートルだって…」
あぐりっこ言葉が出てきません…
土生さんが亘理町の地図を使って 津波被害にあったエリアを解説。 被害は地域の半分以上にも及んでいました。
河野「高速道路を越えているんですね」
土生さん 「そうなんですがこの高速道路のおかげで 津波の力が弱まってはいます。 ただ海水は押し寄せました…」
津波が襲った後の町の様子です…
土生さん 「これは鉄骨のイチゴ大型ハウスです。 波の強さで押されちゃったんです… この年は秋から寒さが続いていまして これから本当の収穫期になる! という直前でした…」
土生さん 「震災の時間帯もこのように生産者さんが イチゴを持ち込んで(箱詰めなど) やっていました。 どうやって入ってきたのか? 分からない物までありました…」
河野「言葉が出ないです…」
森崎 「僕達は規模が大きすぎてニュースでも 東日本全体を捉えていましたけど こうやって一部分にズームしていくと また違った想いが出てきます」
そのままだと作物を育てる事が出来ないので 塩分を取り除くため、 雨水や川の水をかけ流れ出るようにします。
この「除塩作業」は町内のいたるところで 行われています。
亘理町がある宮城県では 津波などの被害を受けた農地は 沿岸部を中心に 13000ヘクタールにも及びました。
そのうち55%、7200ヘクタールは 除塩などの復旧作業が始まっています。
河野「どのくらいの期間かかるものですか?」
土生さん 「こまめに“耕うん”して雨に当てれば 1~2ヶ月ぐらいで なんとかなるんです、表面は。 ただ下に溜まっているんです。 でハウス栽培っていうのは 下から(水分が)上がってくるので 極力こまめに水をかけなければいけない」
さらに地下水が塩水化してしまい、 イチゴ栽培を再開できない生産者も多いのです。
佐々木 「これまでと同じように自分の畑で イチゴを作る方もいらっしゃるんですか」
土生さん 「ハイおります!今年だけで吉田地区では 20名が再開されております」
震災の前、亘理町吉田地区の イチゴ生産者は200名ほど。
現在は66名の生産者が イチゴ栽培を再開しています。
さて続いては念願のイチゴ栽培を再開した 生産者のところへ-
佐々木 「イチゴ栽培をしている小野秀男さんに お話を伺います。宜しくお願いします」
森崎 「寒いですね!宮城! 小野さん北海道の雪まつりの格好ですね」」
小野さん「これで犬の散歩しているんで」
さてココでリーダーがあることに気付きました。
森崎「みんな足元どうですか?」
タクヤ「サラサラ!」
河野「砂浜みたい!」
小野さん「この辺一体は全部“砂地”なんです」
河野「イチゴ栽培に適しているんですか?」
小野さん「適しているんです」
森崎「知らなかった!」
佐々木 「さてここでイチゴ栽培に大切な水の話です」
小野さん 「今までは地下水をかけていたのですが まだ塩分濃度が高いので、 そのままかけるとイチゴが枯れちゃうので 水道水と地下水を半分に割って かけている状態です」
森崎 「水道水を軽トラに乗せて運んできている?」
1棟のハウスに必要な水の量はおよそ1トン。 2日に1回はこの作業をしイチゴ栽培を行います。
では早速ハウスの中を見せてもらいましょう!
森崎「うわ~なってるよ」
あぐりっこ「真っ赤だ~」
河野 「真っ赤な立派なのもイッパイなってる!」
小野さん 「これは《もういっこ》という品種です。 宮城県の初めてのオリジナル品種なんですね」
森崎 「北海道でも震災前は私たちは たくさんいただいていたイチゴですね」
小野さんがイチゴの栽培を再開したのは 去年の3月。
もともとは17棟のハウスで 栽培をしていましたが、現在は6棟。
規模は小さくなりましたが 再開できた喜びは大きかったと言います。
小野さん 「再開できるのは時間がかかる… と思ってたんだけど 1~2年で再開できたのはみなさんの ご支援があったからだと。 感謝は忘れないようにしたいです」
河野 「再開が去年の3月ってことは 震災から1年後ですよね。 その前の1年はどう過ごされていたのですか」
小野さん 「仮設住宅で暮らしながら、会社に一回 入りました。収入が無かったので…。 いつかはイチゴ栽培が再開できる!と 考えながら、会社勤めをしてました」
しかし震災前にハウスがあった場所は 海沿いだったため 他の土地を探さなければいけませんでした。
そこで小野さんは、 今まで育苗用のハウスがあった土地を 利用することにしたのです。 栽培に必要な土をトラックで運び、 地下水は水道水で薄めて使う事で 準備を整えました。
小野さん 「今年は特に寒かったんで 形はちょっと悪いかな…とも思うんだけど 味は前と変わらないくらい甘いと思います」
森崎「いただいてみたいなあ~」
小野さん「どうぞ~」
それではちょっとユニークな 収穫方法を教えてもらい、 美味しいイチゴをいただこう!
小野さん 「イチゴを指と指の間に挟んで、 手首をこうします! (きゅっと手首をスナップさせます) 」
あまりのスピードにビックリ!
手首のスナップを利かせて イチゴを収穫していく方法でした。
あぐりっこも収穫!さてそのお味は…
タクヤ「甘いっ」
ワカナ 「美味しい!何個でもいける気がする!」
佐々木 「イチゴがこのように実るには ミツバチが受粉のお手伝いをしてくれないと いけないですよね?」
小野さん 「広島県で育てたミツバチをもらって…」
森崎 「それはイチゴ農家に重要なアイテムですよね」
小野さん 「そうですよね。本当にありがたいです」
佐々木 「宮城で頑張る小野さんの力もそうですが 全国からの応援の力もあって 《もういっこ》が実っているんだな~ と思いました」
森崎 「1ついただきました… みなさん言いたいこと、ありますね? せ~のっで言いましょう! いいですか?せーのっ!」
あぐり一同 「もういっこ! (「もう1個ほしい」って事ですね!)」 小野さん「どうぞ!もういっこ(1個)!」
森崎「やった~~」
亘理町イチゴ生産者さんの声 「やっと生活していく基盤ができるかなという ちょっとした安心した気持ちがあります」
「これも新しいチャンスととらえて 宮城県亘理町のイチゴ復活に向けて 頑張っていきたいと思います」
続いてあぐり一行が向かったのは 亘理町内でも最大規模の仮設住宅があるエリア。 現在もおよそ480戸、 1400人以上の方が生活されていています。 中にはいちご団地の完成を待っている イチゴ生産者の方も多くいるんです。
この仮設住宅の隣にあるのが…
佐々木 「上の所に文字が書いてありますけど…」
あぐりっこ 「ふるさと復興商店街!」
森崎「華やかにペイントされてますね」
佐々木 「こちらは亘理町の仮設商店街で 今30のお店や事業所が軒を連ねて この辺りでは最大の大きさの 仮設商店街になります」
仮設住宅の方もよく利用するという 「ふるさと復興商店街」。 組合長・齋藤邦男さんにお話を聞いてみよう。
佐々木「こちらが全体図ですか?」
齋藤さん 「そうです。東郷地区の仮設施設になります。 荒浜地区や吉田地区の方々が被災されて ここでオープンしたということです」
森崎 「場所を変えてこうして商店街で やっているということですね」
河野「齋藤さんはどんなお店ですか?」
齋藤 「私は仙台インターネット通信社で、 パソコン教室をやったり カラオケ教室もやっているんですね! 狭い場所にいるでしょ。 なので憩いの場所を作ってですね みんなでカラオケをやってます!」
宮城県亘理町におじゃましているあぐり一行。 ふるさと復興商店街の中を散策していると、 遠く離れている北海道と宮城県との 嬉しい“繋がり”をたくさん見つけました。
まず佐々木アナとあぐりっこが見つけたのは コロッケやさんです。
佐々木 「こんにちは~北海道から来ました!」
菊地なみ子さん 「こんにちは!うちは揚げ物専門店ですよ」
串かつ・うずらの卵・ひれかつ とんかつ・エビフライ・アジフライ…などなど。 安くて豊富なメニューがズラリと並びます。
では早速お店で一番人気の 『手作りコロッケ』をいただくことに!
タクヤ「おいしい!ホクホク!」 ワカナ「う~ん美味しい!」
菊地 「男爵じゃないとやっぱりダメなんだよね! ずっと前から北海道の男爵を 使っていますよ」
佐々木 「宮城と北海道が繋がった気がするね!」
続いてリーダーと河野くんが伺ったのが 八百屋さんの「丸舟商店」。
菊池多恵子 「(以前のお店は)全壊と言う形で 全部て流されてしまいました」
森崎 「ここにはまだ1000人を超える人がいて そういう方からすると、 新鮮な野菜や果物がここにあるってことは みなさんにとって励みになるんじゃないかな とも思うんですけど…」
菊池さん 「それは反対だと思います。 私たちの方がみなさんに 助けられているんだと思います。 みなさんに助けられてここまで 来たんだと思います。全て感謝ですね。 感謝しかないと思ってます」
涙ながらに話をしてくれた菊池さんのお店には イチゴの産地復興が進んでいることを 感じさせてくれる嬉しい商品がありました。
菊池さん 「亘理のイチゴをふんだんに使って 作ったワインです」
2年ぶりの復活販売された 「いちごだワ・イン『夢みる乙女』」です。 (数量限定となります)
森崎 「このワインはもともとあったけども、 製造をストップしていたって事ですか?」
菊池さん 「亘理のイチゴで作っている “イチゴワイン”なんで!」
森崎 「亘理のイチゴじゃないと作れないから! 復興が始まりつつある象徴でもあるお酒!」
河野「製造が函館なんですね」
菊池さん 「函館にイチゴを送って製造してもらって またこちらで販売しているんです!」
なんと北海道産のジャガイモ・玉ねぎも発見! 北海道と亘理町。 遠く離れているように思うけど、 しっかり繋がっているんです。
さてお次にリーダー達が訪れたのは 魚屋さん「丸八佐惣商店」。
森崎「魚屋さんの前で何かやってますよ~」
河野「この段階で美味しそうですよね」
大きなお鍋の中身は…
荒浜港でとれた「タラ」と 仙台特産の「白菜」をたくさん入れて 煮込んだ「タラ鍋」です。
あぐり王国が復興商店街にやってくると いうことで、この時期、 宮城県などではよく食べられている 「タラ鍋」を用意してくれていました。
ではいただきま~す。
河野「うわっしみる~~!」
森崎 「おいしい~~! 白菜もシャキシャキで美味しいよ」
丸八佐惣商店さん 「寒い時期だとタラ鍋はみんな食べますね」
さて今日一日振り返ってみて…
ユカナ 「すごい津波がきて見ているだけで 怖かったけど… 実際にいた人はもっと怖かったのに 今では一生懸命復帰しようと頑張っているし その温かさをすごい感じて こっちが元気をもらった気がした」 タクヤ 「津波でイチゴとか全部なくなったけど みんな共通して一生懸命 元に戻そうと頑張っていると思います!」
河野 「こっちからできることって… 頑張って一歩を踏み出した人を応援する! 北海道でも食べられますから 亘理のイチゴを美味しく食べたいと思います」
森崎 「宮城のイチゴ“もういっこ”は 北海道の人もスゴイ愛していますって 言いたかったんですけど、 どうでしょうか? 逆に僕らが言われたことって… 『北海道の野菜、使ってるよ~』とか 『北海道美味しい!けど宮城も美味しいよ』。 どっちがエールを送っているかわからない、 そんな想いがありました。 僕は北海道の野菜・果物が大好きだけど こうなってしまった今… 亘理のイチゴ大好きだ!! 美味しく食べようと思います。 みんなも美味しく食べようね」